誰にも言わずにここに置く

誰にも言わないけど留めておきたい、内省と個人所感メモ。というか主に愚痴。

無題

どうも、方々連絡を入れた先から返信がない。

昔から、反応がない状態に弱い。

1つや2つでなく、普段ならさっさと返事をくれそうな人まで返信がない。

心当たりが全くないわけでもなく、有り体に言えば嫌われているというか、

新たに嫌われたのか、面倒くさいのか、信用できないのか、

とにかく、返事をする気にならないから放置されているのだと思う。

別に、返事がなくて先に進まなくても、私は困りませんけど、と

強がろうとしてみるものの、けっこう堪えている。

ここのところ、焦りを憶えるほど閑だったのもあって、

もう廃業するかなとか、全部面倒くさくなってどうでもよくなったりする。

良好な対人関係を結んだり維持するのが至極下手だ。

自分のことしか考えていないからだと思う。

相手のことを考えているつもりで、思いやろうとしているようで、

結局自分のことしか考えてないのが透けてうさんくさく見えるんだろう。

しばらく様子を見ているけど連絡を取れそうにないので、次の手をどうするか途方に暮れている。

電話しても取ってもらえないかもしれない。かけ返してもくれないんだろう。

そのまま放置しといていいものか。

もっと、全力でコンタクトを取ろうと押しまくるべきか。

世界に拒絶されている気分になる。

そういう自分をいちおう自覚して、まあ、対策はないので、

ぐだぐだゴロゴロして、拗ねて、癒えるのを待つ。

仕事は来ないし、返事も返信も来ないし、なんかもう、終わりつつあるのかな。

図書館職員の給与が少ないというニュース

図書館司書の給与が低いというのが、少し前から話題だ。

それに対して、厳しい意見も多い。

利益を出す事業でないから当たり前とか、

安いと知っていて就職したんだろうとか、

そもそももう図書館は必要ないとか。

 

図書館利用が少ないから不要だというのは、

つまり、本を読まない文化を育ててしまったということだ。

自動車が登場して馬に乗らなくなったとか、

エアコンができて火鉢は使わなくなったとか、そういうのと違う。

図書館の代替となるほど充実したデジタルコンテンツはない。

単に、本を読まなくなっただけのことだ。

 

本から得られるのは知識だけでない。

他者を思いやる心や、自分が知らないもの、見えないものへの想像力を養い、

理解が及ばないものを尊重できる力、

目先の自分だけの損得にとらわれず、広くより良い道を考える思考の持ち方など、

豊かな人間性を育む上で重要な役割を果たしている。

 

本なら何でも良いというわけではなく、どういう本に触れるかが

特に子どもたちにとっては重要で、

そこで大きな役割を果たすのが司書だ。

いわゆる「良書」に類されるものを厳選して仕入れ、提供する。

 

もちろん児童書に限らないが、時代的なニーズと普遍的価値、

学術、文化などの他面から書籍・資料の収集と提供を行う図書館の役割は

ほかに代わるものがない。

 

本を読まない文化が育っているということは、

自分ファーストの、目先の快・不快、損得といった

利己的な視野の狭い人間が増えていくんだろうと案じている。

理で諭せないから罵倒する、手を上げる。

そういう人は、周りでも見かけないわけでもない。

 

 

公共だからとか、そもそも給与安いと知ってたろうとか、

だから我慢して当然というような声もあるが、

なぜ、我慢させようとするのだろう。

まあ、この件に限らずだけど、

自分も苦しいし我慢してるからあなたも苦しみなさいと足を引きたいのか。

その人の給与が上がると、自分の手取りが減るのか。

税金が上がると心配してるのか。

そんなの、もっと文句をいいたい無駄遣いが山ほどあるんだから

そっちに文句を言えばいい。

 

そもそも日本は教育にお金をかけなさすぎる。
科研費が総額2400億円と聞いてびっくりした。

少ない。

理系にしろ文系にしろ、そりゃあ研究レベルも下がるわと思う。

図書館だって、もっと人に潤沢に予算を割けたら、

利用促進や読書を習慣づけるような取り組みを広く展開できるはずだ。

読まないから要らないんじゃない、

読まない人たちを作ってきてしまっているのだ。

「本なんか読まねーよ」と言っている人は、

自分で読まないと思ってるけど、そうじゃない。

「読まない人」へと育てられたのだ。

 

いったい日本の人たちは、将来や幸福というものに対して、

何を思い描き、求めているのだろう。

教育をないがしろにするのは、

肥料を与えずに作物を育てるようなものだ。

なかには水と太陽で、充分育つものもある。

けれど養分が十分でないと、

育ったけど美味しくない、固くて食べにくい、小さな実しかならない、

そういう結果になりやすい。

 

社会に生きる以上は、誰もが他者と関わらずに生きられない。

自分が出会う人たちが、尊敬でき、信用できる人であってほしいと願えば、

教育や読書は外せない要素のはずななのに、

それをどんどん細らせて、

官僚の出来が悪いとか、ひどい教員がいるとか、とんでもない客が来たとか。

 

自分も至らないだらけの人間だけど、

まあ、そういう自己反省も含めて、

豊かな人間性が育つ教育が、もっと潤沢な予算で行われてほしいと

つくづく願う。

 

食べるは生きる

Mさんが亡くなった。

言葉もない。

偶然、訪ねる予定にしていた日だった。

無言の再会となってしまった。

本当に、ただ眠っているようだった。

「びっくりした?」といたずらな笑みを浮かべて

起き出しそうなほどだった。

 

辞した後、明日親戚に渡す土産を買いに寄った百貨店で、

サンドイッチを買った。

 

ものを買って食べるとか、すごい久しぶり。

Tが入院してから、買い物をまったくといって良いほどしてない。

冷蔵庫の密度を減らすのに必死だったから。

夫が胃を病んで監禁されてるのも、

なんとなく食から私を遠ざけた。

たんぱく質は、牛乳とかちりめんじゃことかチーズとか

そんな程度しか摂ってなかった。

 

だから今日はメンチカツサンドとか買ってやった。

あまりおいしくなかった。残念。

 

しかし、やはりまだ栄養が足りていないらしかった。

ほんのり顔が寒い。

空腹感よりも、顔が先に寒くなる。

 

Tの入院以降、節約して在庫の野菜と穀類で1週間過ごして来たのに、

退院が間近となったいま、

そして会食でたっぷりご馳走を食べられる前夜に、

半額のステーキ肉を買ってしまった。オージーだけど。

肉だ。肉が必要だ。

たんぱく質も鉄分も全然足りてなかった、多分。

私はヴィーガンにはなれないな。

 

Mさんは、食べるのが好きだったな。

おとといくらいもお寿司を食べてらしたみたい。

食べる力が、生きる力だった。

私も食べないと。

 

 

温泉も明日入れるのに、

頭が気持ち悪いのが我慢できなくて風呂をくんで入った。

まあ、きれいサッパリで良く寝られそう。

 

ああ、明日も朝が早い。

もう寝よう。

アイスのコーンは捨てるのか?

今日気になったニュース。

円安が進んでいる・・ドルを買っておけば良かった。

私が持っている某通貨はなかなか手放せるまで上がらない。

もう現地で使った方がいいんだろうと半ば諦めている。

 

国葬16.5億・・・の発表を進言したのは管氏だった件。

この件は当初からいろいろ突っ込みどころ満載すぎる。

そもそもなぜ最初の発表で、見積もりに入れていない経費があると

明かしたのか。

じゃあ総額を出せと言われるのはわかりきったことだ。

いつもの強引さでそのまま押し通すのかと思いきや、

当初の7倍ほどの金額を発表した。

そりゃー、いまこの情勢のなか、そんなにコレに費やすのかと

荒れるだろうよ。それもわかりきったことだ。

岸田氏の人気は着々と降下中だ。

総額提示を促した管氏は、岸田氏を潰したかったのではと

穿ってしまう。

まあそれでもやっぱり、いつもの強引さで強行するんだろうけど。

もったいないというか、気力が萎える。

 

ちなみに業者がムラヤマに決まったのは、

本当にほかに入札に応じる業者がいなかったんだろうと察する。

面倒なのか、ノウハウがないのか、避けたいのか、旨みがないのか、

理由はわからないけど、手を挙げるところがなかったんだろう。

珍しい話ではない。

ただ、このタイミングで安倍氏の御用達企業みたいに報じられると

癒着とかいろいろ疑われても仕方ないよねと思う。

まあ、実際どうなのかわからんけど。

 

本日のできごと。

午前中も午後も概ね仕事をしてたけど、

昼にJからランチのお誘いがあった。

久しぶりなので応じて、近くの飲食店へ行った。

彼女はずっと、会ってから別れるまでずっっと、喋りっぱなしだった。

「歳とるとお喋りになるねん」と言い訳をしていたが、

中身は全然覚えてないけど、とにかくよく喋った。

私の返答は聞かない。私が喋る間は、次に何を話すかに頭を巡らせている。

話題のなかに、隣人のお喋りに2時間付き合わされて、ぐったりした話があった。

それそれ。

いま、まさにそれ。

疲れるって、知ってるじゃんか。

ところが、まさか、いま自分がその隣人と同じだとは

まるで思わないんだなあ。

まあ、元気でいいけどね。

エネルギーを存分に吸い取られて、帰宅後1時間何もできなかった。

 

ただ、今日一番承服しかねるのが、コーン捨てた事件。

昼食をごちそうになった後でジェラートをお返ししたとき、

「コーンにしますか、カップにしますか」と尋ねて

「コーンにする」と選んだのに、

コーンに盛られたジェラートをスプーンで食べ続けて

結局コーンは紙に包んで捨てていた。

何なん????

食べないなら、カップにすればいいじゃないか。

捨てるためにコーンにしたのか?

 

中学生くらいのころ、友だちとアイスを食べたとき、

彼女たちはコーンを捨てていた。

「食べるの? 貧乏くさい」と笑われた。

私は食べ物を粗末にするのがいやなので食べたけど、

そういうトレンド?もあるのかと、その時は「へえー」くらいなものだった。

このときは、カップかコーンかを選ぶ余地はなかった。

「食べられるけど器です」も、ギリギリ通らなくないと納得した。

多分彼女たちも、いまは食べるんじゃないかと思う。

 

でも、今回のJは、違う。

あえてカップではなくコーンを選択したのに、食べない。

かなり、かなり、「どうして?」と訊きたかったけど、

上機嫌で喋りまくる彼女に、しかも久しぶりのランチで

水を挿さないでおこうとぐっと堪えた。

おおかた、スプーンで食べすすめるうちにコーンを食べ損ねたのだろうと、

そんくらいなんだろうと思う。

彼女を糾弾しなかっただけで、今日の自分は頑張ったと思う。

 

今日の晩ご飯もT作。長芋とエリンギとソーセージの炒め物、焼き鯖、白菜とエノキの味噌汁。あと母の玉こんにゃくと、父の漬物。

昨日は母の牛丼だった。

都会の人は見知らぬ隣人にお金を貸すのか

先週7daysを見てて、

出演者の一人が、飲食後にレジで持ち合わせがなくて

その場で隣の人に1000円を借りた話をしていた。

えっ?

貸すの??

他者に関わりを持ちたがらないというイメージが強いというか、

私が持っていた都会の人の像とかなり離れていて

かなり戸惑った。

 

都会出身のTに訊くと、「それは貸すよ」と普通に言う。

なんで? 

道で倒れてる人は放置するのに、

見ず知らずの人が、真実かどうかもわからないのに

「財布にお金入れるの忘れたから貸して」って言えば貸すわけ?

それっていくらまで貸すわけ??

だって詐欺かもよ?

 

もしも私が、レジで支払い能力がないことに気付いたら、

多分、お店の人に免許証とかを人質に渡して、

お金を取りに帰るとか下ろすとかして、

店に支払いに戻ると思う。

 

そうTに話すと、「店員にはそれを許可する権限がないから、

理由がどうあれ払わずに店を出ると無銭飲食で警察を呼ばれる」と。

そうなの??

それはダメなの??

なんか、不思議な感じ・・

 

とはいえ、逆に私が同じようなシチュエーションで

見知らぬ人にお金を貸してくれと言われたら、

多分、貸すと思う。

貸すけど、それは騙されてるのも織り込み済みだ。

都会の人って警戒心が強いんじゃないのか。

田舎人とは、警戒心や連帯感の持ち方が違うのだろうか。

まあ、都会に旅をしたときに困ったら、隣人を頼ってみようと思う。

ボヤき

最近、仕事でミスが多い・・

現場に行く前はこれでバッチリと思うのに、

着いてから準備不足に気付くとか、

現場が終わってから足りないものに気付くとか

何やってるんだろう。

慢心というか、たるんでるんだろうなと思う。

やる気がないわけではないし、

期待に応えたいと思うし、

自分なりにその場ではベストを尽くしたつもりなのに

あとで全くベストではなかったと判明して落ち込む。

怒られたわけではない(というか、もはや誰かが叱ってくれる環境でもない)けど

辛い。

自分にがっかりする。

 

よくネットなんかで、叱られたとか、悪口を言われたとか、

外的な傷への対処法っていろいろ書かれてるけど、

自分の至らなさやつまらなさに傷つく場合はどうすればいいんだろう。

次へ行こう、次はちゃんとしようと思うわけだけど、

後悔のない現場ってなかなかない。

 

そもそも今回は私の担当ではなかったのに、

変に買いかぶられて大役を任されたのがまずかった。

これは浮かれていられない、気を引き締めてかからねばと

かなり入念に準備したつもりだったけど、

終わってみれば「あれ?」と青くなることばかりだった。

 

その2日後の現場は、下調べがスッポリ抜けていた。

割と日ごろから知っている現場だとどこかでタカをくくっていたのだと思う。

こちらが何の事前調査もしていないのは向こうにも丸わかり。

それを顔にも出さず非常に丁寧に対応していただいたのが余計辛かった。

どうせそんなモンでしょ、と思われたかも知れない。

とてもとても、とてもとても申し訳なかった。

 

自分にがっかりする。

そこで止まっていてはいけないと分かっている。

どうすれば同じ過ちを繰り返さないか考える。

何がダメだったか、わかるだけマシだと思ってもみたりする。

また明日からがんばる。

少しでも挽回できるように。

自分で、よくやったと思える仕事ができるように。

いつもへこんでばかりだけど、

今回はちょっと特大・・・

仕事先の人を怒らせてしまったようだ。

心当たりはある。

すごくデリカシーのない質問をしてしまった。

そのせいかもしれない、電話に出てくれない。

SMSも反応なし。

忙しくて・・というより、断固とした拒絶を感じる。

 

でも、その前から・・最初会った時から、彼はあまり協力的な雰囲気ではなかった。

私がそうさせるんだろうか。

それはとても、あり得ることだと思う。

私は、そういう、つまりデリカシーがないというか、

配慮が足りない。

いままでも、面と訴えられないだけで、

たくさんの目こぼしをちょうだいしてきたのだと思う。

すごくすごく気を遣っているつもりなのだけど、

ふとしたところで緩んで、甘えが出る。

自分が尋ねたいことが先に立って、

相手の立場や心情への思いやりがすっ飛ぶ。

あるいは、気を遣っているポイントがズレていて、

肝心なところで地雷を踏む。

私が気付いていないところで、相手が気分を害してる可能性は

存分にある。

 

そういう私の本質的な欠陥を、改めて気付かせてくれた点では

非常にありがたい。

ありがたいが、しかし、とにかく、素材をもらわないといけない。

払いそびれた料金も支払いたい。

 

なので、明日、仲介者に連絡をとって、

会いに行こうと思っている。

かなり条件がそろわないと難しいが、

とにかく挑戦しようと思う。

会ってもらえるかわからないけど、

もう、会えるまで待つくらいの覚悟で。

 

こういうことがあると、

この仕事を続けていいんだろうかと本気で考える。

資質が問われる、ということだと思う。

でも、明日も新しい人と話をする。

怖い。

何かやらかしそうで怖い。

でも逃げられない。

怖い。